〒500-8086 岐阜県岐阜市木造町13−1
日尊上人は、師匠の日興上人が法華経講義中、庭の梨の樹木より枯れ葉が舞い落ちるのに気を取られた姿を叱責され破門となる。そのお詫びに全国を布教し34か所の寺院を創建しこの功績により、12年目に破門が解かれた。当山はその内10番目に創建された寺院である。
嘉元元年(1303年)に創建され、約500年前の曼荼羅本尊がある。本堂は明治24年の濃尾大震災で倒壊したが明治30年に本堂を再建。大正時代鐘楼門建立。
平成13年5月、立教開宗750年、正興寺開山700年の記念事業に客殿を新築。襖絵には近代水墨画院会長山田大作画伯の水墨画が奉納されている。織田信長公の御殿医(信長公侍医)のお墓がある。
初代は天光院殿従五位前少将宗因日顕大居士で、位牌堂には最上段に中川家七代の立派な位牌が並んでいて、墓所には中川家一門のお墓が祀られている。