〒500-8086 岐阜県岐阜市木造町10
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蓮生寺は、開基教秀法師が信州松本より天文五年(一五三六年)新天地開拓を志す当時の門徒二十余名と共に濃州井ノ口に移住し、岐阜明屋敷に庵をかまえたのが始まりです。その時、初代教秀法師と共に岐阜に移住してきた門徒の方々のうち、数人の子孫が現門徒として続いています。
開基教秀法師は、信濃国塚間群府中橋延の大宝山正行寺の二男で、この正行寺は源平の戦いの頃、寿永三年(一一八四年)宇治川の先陣争いで名を上げた源頼朝の家臣、佐々木四郎高綱が出家し、法名を了智と申し、親鸞聖人の仏弟子となり創建した大変由緒あるお寺で、現在も長野県松本市大手町に現存しています。
永禄十年(一五六七年)織田信長岐阜入城の時に、教秀法師を召出され十間四面の寺地を拝領し、寺号を欲生寺と致しました。
慶長五年(一六〇〇年)関が原の戦いで西軍について敗れた岐阜中納言秀信卿岐阜落去の際、家老の木造左衛門具政の岐阜屋敷を拝領し、その跡地が慶長十一年(一六〇六年)現在の寺地となり、今に木造町の地名を残しています。
三代目善通法師の代に至り、京都本願寺第十二代准如上人より寺号を蓮生寺と改名成して下さり、これより蓮生寺と号し、今に至っています。
本尊須弥壇にご安置してありますご本尊(木造阿弥陀如来立像)は、江戸時代の大仏師康雲によって、鎌倉時代の作であるとの鑑定書をくだされました。このご本尊は、平成八年(一九九六年)一部古文書と共に『岐阜市重要文化財』 の指定を受けました。
創建以来四九〇余年の長い歴史を持つ蓮生寺には、天文五年(一五三六年)初代教秀法師が信州を出るとき背負ってきたであろう「阿弥陀如来絵像軸」及び「六字名号軸」をはじめ数々の寺宝があります。
これらは、天正十一年・慶長五年の戦火、貞享三年・寛保三 年の歴史に残る岐阜大火に類焼し、近くは濃尾大震災による本堂、書院倒壊等、度重なる災害にも関わらず、先人の方々が命にかえ、守り通してくださった寺宝であります。