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日蓮宗
妙照寺(みょうしょうじ)

〒500-8017 岐阜県岐阜市梶川町14
058-264-7793

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當山の概略

三光山 妙照寺

岐阜市重要文化財の指定(二件)

平成9年7月31日に岐阜市重要文化財に指定されました

① 本堂
建立年代が不明でしたが、古文書等の資料によって、寛文2年(1662)であることが分かった。初めの形は、向拝(ごはい)が無く屋根も柿(こけら)葺きであった。瓦への葺替えは享保4年の記録がある。
※平成大改修にて下ろされた東西の鬼瓦にその年号と作者の名が書かれており本堂前に展示されています。

② 庫裏
現存する県内の神社・仏閣の中で最古の建造物であると、県教育委員会の調査の結果が報告されている。
〔岐阜県文化財調査報告書・岐阜県の近世社寺建築(昭和55年度)〕
又、芭蕉が当時に滞在した十二畳の座敷は「芭蕉の間」と呼ばれ、研究者・俳句関係の人々から「芭蕉が直に触れた建物は現存するものが少なく貴重なもの」と評価されている。

妙照寺と芭蕉の関係

芭蕉がこの寺を訪れたのは、貞享5年(1688)6月8日である。(9月に元禄と改元)
當山第7世泰禪院日賢上人は、号を「己白」といい、別に「秋芳軒」「宜白」とも称した。
芭蕉とは俳諧を通じて親交が深く、その縁で1か月間滞在した。
その間、当地の有力者や俳諧・風流人に招かれて数多くの名句を残している。
《注2》先述の第7世はここでは「後の…」と表現するのが正しいと思う。それは古文書の資料により、貞享5年当時は第5世円光院日応大徳(中興の開山)の時代であった。

日賢上人は元禄6~11年(11月1日寂)の住職であり、芭蕉は元禄7年の没である。
芭蕉 元禄7年10月12日 51才没
日賢 元禄11年11月1日 55才没
同年齢であったことが分かる。

境内の句碑にある、
『やどりせむ あかざの杖に なる日まて』
の句は、到着の時に詠んだ挨拶の句である。
昭和51年秋、岐阜県俳句作家協会が建立したもので、字は俳人楸邨先生の筆である。また、碑の後ろにある老梅は芭蕉の手植えの梅と言い伝えられている。

芭蕉の間

芭蕉の間

尾張高との関係

尾張の殿様が岐阜城登山の時、当寺が御休憩処と定められ、記録によると数十度に及び、その時の様子が詳しく記録されていて興味深い。

杜若(かきつばた)の池(※猪被害にて荒廃中)

戦後荒廃していたのを、平成5年に発掘復元したものである。石組み等の原型は不明の為、池を生かすべく造りなおしたものであるが、一部昔の石垣が出現した。芭蕉滞在の頃すでに「杜若の池」として知られていたようで、各務支考(1665~1731)の
『投げわたす こころの橋や かきつばた』
見龍(支考の別号)
の句の前置きに、『新屋敷なる沢の杜若を見んと東羽右範を伴いて』とあることからも分かる。
〔この辺りを「新屋敷」と言い、東羽と右範の二人の弟子を連れて、の意〕

明治の中期には、当時の住職日顯上人(25世)が初代県知事小崎凖(我々亭と称す)等の風流人を集め詩歌の会を催した。その頃には「不共庵—ふきょうあん」という庵が池の傍らにあり、芭蕉の間にある「不共庵」の額は我々亭の筆である。

杜若の池

杜若の池

沿革

開創天文3年(1534)、宗派は日蓮宗(総本山は身延山久遠寺)である。
京都・大本山妙顕寺第8世日広聖人の弟子である、五千院日舜聖人[永禄10年(1567)5月1日寂]の開山で天文3年4月住とある。
当初、渥見郡今泉村(現・岐阜市柳町の辺り)に創建、慶長5年(1600)岐阜中納言織田秀信公より現在地を寄進され移転した。此処は旧竹中半兵衛屋敷跡で、当時既に空屋敷であったものと推量される。
《注1》慶長5年6月28日付の織田信秀公の寄進状及び添状が「妙照寺文書」として岐阜県史資料編にあり。
境内奥の「三光稲荷社」への参詣者も多い。当寺の山号も「三光山」である。
移転以降、本堂・庫裏・鐘楼等順次に代々の住職の努力によって現在の形を成したのは、恐らく天保年間頃と思われる。
又、芭蕉滞在の寺としても知られており、これらについては別記しております。
(参考)織田秀信公の竹中屋敷を寺に寄進した書状が、妙照寺文書として岐阜城資料館に常設されています。

後記

『しるべして 見せばやみのの 田植え歌』(己白)の句を芭蕉に贈り、これに対して、
『笠あらためん 不破のさみだれ』と芭蕉が脇をつけている。
己白(日賢上人)が芭蕉と連れ立って岐阜の途中不破の関辺りで詠んだ句であるという。
約330年前に芭蕉が滞在したという「芭蕉の間」も最近では徐々に知って頂き見学の方も増えて参りました。皆様のご協力のもと、私たちはこれからも末永くこの貴重な建物を保存して参らねばなりません。
平成22年より約3年かけて「平成大改修」を行い、本堂及び庫裏の屋根を瓦から銅板に葺替え、建立当時にはこけら葺きであった趣を復元致しました。また屋根を軽量化することにもなり、耐震の面でもより安定・安全を確保できたものと思います。
長い歳月の間に天災・戦災・社会変動・都市の行政などの条件によって寺院も形を変え昔の原型を留めているものは都市部においては皆無と言っても過言ではないと思います。幸い当寺は時代をくぐり抜け創建当時の原型をほぼ留めており、都市部における貴重な存在であると思います。〔但、鐘楼移転・庫裏の改築等はあり。境内地の形態及び諸堂の配置はそのまま〕

平成29年2月
住職 堀 智仙(30世) 敬白

寂光 日蓮宗

日蓮宗の葬儀式

勧請
諸仏諸天善神をお迎えいたします。

読経
ご本仏お釈迦さまの御教えである法華経の経文を導師と共にお唱えします。

引導文
導師が亡き人に死後の安心を示し、寂光の都である霊山浄土におもむくにあたって教えを説きます。
合掌し心静かに聴聞します。

法号授与
日蓮聖人の教えを信じる者が、御仏の世界へおもむくにあたって授けられる名前。

焼香
お香はけがれを除き、芳香をただよわせて心に清浄心をおこさせます。

唱題
日蓮聖人は「妙法蓮華経の五字を真に信受し持つなら釈尊の積まれた功徳を、おのずから譲り与えられ仏となることができる」とお示しです。
お導師の声に和して『南無妙法蓮華経』のお題目を心を込めてお唱えいたします。

回向
ご縁につながる人々が心を込めてお唱えした読経や唱題の功徳を亡き人にめぐらします。

追善供養

忌日法要
年忌法要

初七日から四十九日、百ケ日、そして年忌等の追善供養は、旅立った方と遺った人の心の交流です。
ともに心の向上を誓い、ご供養します。

四十九日までの心得

忌日法要は死後七日ごとに四十九日まで行います。特に四十九日忌は重要な日となりますので、ご縁のある人々が集い懇ろに法要を営みます。

年忌法要はいつまでつとめるのでしょうか?

年忌法要は一般に法事とよばれているもので、亡くなった翌年が一周忌、その翌年が三回忌です。
三回忌からは亡くなった年も含めて数え、七回忌、十三回忌、十七回忌というように三と七にあたる年に法要をにし、三十七回忌から五十回忌まで営みますが、地域の習慣等によって違いますので菩提寺にお尋ねください。

焼香の作法
  1. 自分の順番がきたら、左手に念珠をもって祭壇の前に静かに進み、導師・遺族に一礼して焼香台の前で合掌、礼拝します。
  2. 右手の親指と人差し指の先で軽く香をつまんで額の前にもっていき、故人を偲びます。
  3. 祈念した後、一回、香炉へ香を焚きます。
  4. 焼香・祈念が終わったら再び合掌、礼拝し、導師・遺族に一礼して自分の席に戻ります。

立正安国・お題目結縁運動
いのちに合掌

日蓮宗宗務院

日蓮宗のおつとめ
開経偈

法華経を信じることを誓う

これから法華経を読むに当たって唱える言葉です。
法華経と出会えたことに感謝し、
この教えを来世までも持つことをお誓いします。

無上甚深微妙の法は
百千万劫にも遭い
たてまつること難し
我今見聞し受持することを得たり
願わくは如来の第一義を解せん
至極の大乗思議すべからず
見聞触知
皆菩提に近づく
能詮は報身
所詮は法身
色相の文字は
即ち是れ応身なり
無量の功徳
皆是の経に集まれり
是故に自在に
冥に薫じ密に益す
有智無智
罪を滅し善を生ず
若は信
若は謗
共に仏道を成ぜん
三世の諸佛
甚深の妙典なり
生生世世
値遇し頂戴せん

妙法蓮華経如来寿量品第十六(自我偈)

いつも私たちを見守るお釈迦さま

ご本尊は、過去・現在・未来にわたって永遠の存在であり、
いつも私たちを見守って、導いてくださるということが書かれています。

自我得仏来
所経諸劫数
無量百千万
億載阿僧祇
常説法教化
無数億衆生
令入於仏道
爾来無量劫
為衆生度故
方便現涅槃
而実不滅度
常住此説法
我常住於此
以諸神通力
令顛倒衆生
雖近而不見
衆見我滅度
広供養舎利
咸皆懐恋慕
而生渇仰心
衆生既信伏
質直意柔軟
一心欲見仏
不自惜身命
時我及衆僧
倶出霊鷲山
我時語衆生
常在此不滅
以方便力故
現有滅不滅
余国有衆生
恭敬信楽者
我復於彼中
為説無上法
汝等不聞此
但謂我滅度
我見諸衆生
没在於苦海
故不為身現
令其生渇仰
因其心恋慕
乃出為説法
神通力如是
於阿僧祇劫
常在霊鷲山
及余諸住処
衆生見劫尽
大火所焼時
我此土安穏
天人常充満
園林諸堂閣
種種宝荘厳
宝樹多華果
衆生所遊楽
諸天撃天鼓
常作衆妓楽
雨曼陀羅華
散仏及大衆
我浄土不毀
而衆見焼尽
憂怖諸苦悩
如是悉充満
是諸罪衆生
以悪業因縁
過阿僧祇劫
不聞三宝名
諸有修功徳
柔和質直者
則皆見我身
在此而説法
或時為此衆
説仏寿無量
久乃見仏者
為説仏難値
我智力如是
慧光照無量
寿命無数劫
久修業所得
汝等有智者
勿於此生疑
当断令永尽
仏語実不虚
如医善方便
為治狂子故
実在而言
無能説虚妄
我亦為世父
救諸苦患者
為凡夫顛倒
実在而言滅
以常見我故
而生恣心
放逸著五欲
堕於悪道中
我常知衆生
行道不行道
随応所可度
為説種種法
毎自作是念
以何令衆生
得入無上道
速成就仏身

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